"映画感想"カテゴリーの記事一覧
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「実話に基づく」とゆー触れ込みなので、へーと思って「ハンガリー連続殺人鬼 実話」とか「ハンガリー連続殺人鬼 元ネタ」とかで検索かけたんだけど「ハンガリー連続殺人鬼って映画、実話らしいんだけど元の事件の情報特になかった」みたいな感想がいくつかヒットして俺たちはいったい何と戦っているんだ?とそっとブラウザを閉じた…
冤罪で逮捕・収監された男と犯人の容姿とか、3番目の被害者と犯人の関係とか、おっ意外な展開~と思ったところも脚色じゃなくて事実に基づいているんだろうか?そうだとしたらだいぶ小説より奇なりですけど?
犯人が女性を殺す、死姦によって快楽を得る描写があるのと、誤認逮捕の挙句に殺人犯が野放しあっては警察のメンツにかかわるぜって上層部さんの描写がなかなかに胸クソ。最後の字幕で映画見て久しぶりにええ~そんなあ~て言った…水中に遺棄された死体が数日後ぱんぱんに膨れ上がっているメイクはお見事。
なかなか犯人を逮捕できないことに業を煮やした警察のお偉いさんが「我が国に連続殺人などあってはならない!」みたいなこと言ったのし、社会主義国~~~!!!てなった。嘘かほんとか知らないけど連続殺人、シリアルキラーなんてものは資本主義国特有の現象って共産圏では言われててチカチーロの犯行も連続殺人だって長いこと気づかれなかったみたいな話思い出した。
監督:アールパード・ショプシッツ
原題:A martfüi rém/Strangled
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田舎町で連続殺人事件が発生、死体や殺人に強い関心を持ち社会病質者と診断された少年ジョンは、事件や犯人について調べていくが───みたいなあらすじだけ聞いて、てっきりジョン少年がのめりこんでいくうちについには殺人を犯してしまう話だと思っていたら全然違った。想像していたよりずっと切実で優しい話だった。
動物虐待が悪いことだなんて指摘されるまで分からなかった、みたいなことを言うジョン少年だからどんなにハラハラさせてくれるだろうと思って見ていたけど、ジョンも連続殺人鬼も「愛」の概念を理解できているのが端々で描かれているのでこの子さてはひとを殺さないのでは…?てわりと早い段階でなった(誰も主人公がひとを殺すとは言ってない)
てゆーか、すごいな、連続殺人鬼が「愛」の概念を分かっているって。死体を切り刻み臓器を切除したのは極めて利己的だけれど「愛」のため。血も涙もない殺人鬼が人間の闇を暴く!じゃなくて、愛するひとが息絶えるまでキスを贈りたい怪物を観察するうちに、社会病質者の少年も愛を見つける話だった…友だち、お向かいの女の子、母親、カウンセラー、みんなが出してる好意のサインが今ならきっと届く。教会のシーン秀逸。
監督:ビリー・オブライエン
脚本:ビリー・オブライエン、クリストファー・ロイド
音楽:エイドリアン・ジョンストン
原題:I Am Not a Serial Killer
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とても良かった。無条件で与えられる「許し」はマリーゴールドの鮮やかなオレンジ色、家族の元へと帰るための送り火。死者が帰ってくるために花びらをまいて道(橋)を作るって描写がいいな~お盆的な行事も国によってさまざま。
あれだろ、どうせそいつがひいひいおじいちゃんなんだろ、みたいな仕組みの話が気にならないくらい音楽パートが耳に楽しいし、カラフルで夢いっぱいなメキシコと死者の国双方の「死者の日」が目にも楽しい。ガイコツたちの造形の魅力的なことよ。骨なのにまつげバッシバシなのどうなってるんだよ。
あとヤバいアニメの証明といわんばかりに水の表現がヤバい、マジもんの水みたいでヤバい何あれヤバい(語彙とは)
忘却による二度目の死は、わたしには救済のように思えるので、しんみり表現されているのがちょっと切なかった。死んだらその時点でひとびとの記憶から消えたいもんだ、絵や音楽や映画が残るんだからいいじゃないか。
原題がママ・ココの名前になっているのが後から効いてくるな~夢の為に家を出た男が、愛する家族の元に帰る話で、同じように夢を追おうとした少年がやっぱり家族の元へ帰る話だった。
監督:リー・アンクリッチ
脚本:エイドリアン・モリーナ、マシュー・オルドリッチ
音楽:マイケル・ジアッキーノ
原題:Coco
第90回アカデミー賞長編アニメーション賞、主題歌賞受賞。おめおめ!
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とてもいい映画だった~んだけど、個人的には「家族」とか「血のつながり」とかの分野は苦手なので、家族は助け合うとか、家族は分かり合えるみたいな映画もいいけど、家族なんてしょせん他人の寄せ集め何だから分かり合えない場合も死ぬほどいがみ合う場合もあるよ、しょうがないよ、みたいな映画ももっと世に出て欲しいなと思う。親を殺したくなる場合もあるよ、みたいな映画に救われる子もいるじゃん…
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てっきり「ブラックパンサー」というヒーローの話、ワカンダ国の王となったティ・チャラ陛下の話だと思っていたんだけど違った、「ワカンダという国」「ワカンダをふるさとに持つ人々」の話だった。故郷を愛する者、憎む者、国を思う人々の物語。ティ・チャラ陛下とその父親、キルモンガーとその父親の話を主軸に様々な立場のひとの戦いが描かれていて、予想していたような陛下出ずっぱりでアクション三昧なあれじゃなかった。
衣装、音楽、街並み、アフリカ~というかブラックカルチャーがふんだんに取り入れられ、けれどそこに相反せずヴィヴラニウムの恩恵である高度な科学技術が息づいている。先進的でありながら伝統を軽んじないワカンダの姿がまず面白い。挑戦の儀とかハーブ飲んで埋められるやつとか原始的に見えるものの横をリニアモーターカーが走ってるバランス。マサイ族がiPad使ってるの見たときみたいな、我々の想像力の一歩先いく素敵な現実の姿。
そーゆー「相反する」と思っちゃいがちなものが絶妙なバランスで混在するのが描かれる。国境警備は男戦士が多いが、王の近衛兵は女たちだし(お飾りじゃなくてちゃんと強い)、戦士のオコエとスパイのナキアは違う戦い方でワカンダを思う。王族でありながら中指たてちゃう技術担当シュリはとても現代的(シュリちゃんめっちゃかわいかった…なにあれめっちゃかわいい…)ワカンダの民だけど王に下らないエムバクの一族。
そしてアメリカで産まれ、父親からふるさとワカンダのおとぎ話を聞かされて育ったキルモンガー。ワカンダを守るために国中から隠された秘密の子。ここにいるのにどうして?と自分の存在やアイデンティティーを否定した祖国を彼が憎む姿は痛々しくて悲しかった…まずマイケル・B・ジョーダンさんの金縁眼鏡スタイル最高すぎて全然嫌いになれない…荒々しい死の商人なのに妙にノーブルで、小さな男の子を内包している…
抑圧され迫害される人々を見て、もう黙っていられないと立ち上がるひと。沈黙することは抑圧に加担することだという姿。ワカンダはずっと沈黙してきた、伝統という、良くも悪くも続いてきた習慣に従って。それは間違いだった、もうやめよう、私は壁を取り払い橋を築くというティチャラの宣言。すごく「今」を意識したメッセージだった。我々が相反しがちだと思ってしまうものが共存する世界を語る王。あなたは誰なのかという問いかけへの答え。爽快アクションを期待していたからわりともっさりしててびっくりしたけど、すごく娯楽作でもなく、かといって説教臭くもない、絶妙なバランスじゃないかなと思う。
ところでアンディ・サーキスすごい良かった…あの声…めっちゃ楽しそうだった…マーティン・フリーマンもシビルウォーのときからすると格段にかわいくなってたいやもともとかわいいけどあのシニカルな感じどこいったロス捜査官…シュリちゃんとアイドルユニット組んで欲しい…プリキュア…
監督:ライアン・クーグラー
脚本:ライアン・クーグラー、ジョー・ロバート・コール
音楽:ルドウィグ・ゴランソン
原題:Black Panther
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猫が死んだからダメです(定例報告)
でもとても良かった、とても良かった、とても良かった~べらぼうにロマンチックな愛と時間の物語だった。くちのきけない人魚姫、片方の靴を残して境界を超えるシンデレラ、赤い靴、モンスターとお姫さま、あらゆるおとぎ話が持つ普遍性と同じものが語られる。愛と時間。水の形。我々の手をすり抜け、とどめておけない、けれど枯れることなく存在する強いもの。
人外スキーなので単純に『彼』のビジュアルがかわいすぎてもうそれだけで100点なんだけど仕草から鳴き声から何まで素晴らしかった中のひとダグ・ジョーンズさんありがとうございます…なまめかしくて美しい…てゆーか役者さんみんな良かった色づいた花のように緑から赤にほころぶサリー・ホーキンスさんの熱演(この手のヒロインにありがちな性的ファンタジーな文脈で語られないのよし…てなった)、優しくていたましいリチャード・ジェンキンスさん、いてくれるだけで安心させてくれるオクタビア・スペンサーさん、「美しいものを破壊するなんて」てゆーすごく胸を打つ愛を示してくれたマイケル・スタールバーグさん。
そしてマイケル・シャノン~この映画で一番ああ…てなったのはシャノン演じるストリックランドの「まともな男だといつまで証明し続ければいいんです?」だった…「人間」の理想とされる形が決まっていてそこから逸脱したものはまともだと扱われない世界の生きづらさ。神さまは自分の形を模して人間を作り、それは二本足の魚ではなく、女でも、黒人でもなく、白人男性だとする考え方。「まともな男は失敗しない」「お前はクズだ」と示され続けて、妻と子どもの声さえ癇に障って車に避難しちゃう姿とかそーゆー白人至上主義みたいなのの弊害のように感じた…しんどみが深い…冷酷で見ている相手に不快感をもたらす「完璧な悪役」なのに少し同情してしまう不具のあるバランス素晴らしい…
家具や靴用のブラシに至るまできちんと整えられたイライザのアパート、不気味なラボ、ふたりの愛の雨が降る映画館、タップにミュージカル、聞こえない声で唄われる愛の歌、目に映るもの耳に聞こえるもの全部わくわくした。ラボとかあそこだけファンタジーレベルが高い…ダンジョン感…
昔見た映画の半魚人とヒロインの恋を成就させてあげたい、とゆー監督の思いから生まれたらしい美しい物語。グリーン(ティール)に統一された世界に咲く赤は愛の色、友だちを助け、他者をいつくしみ、美しいものに心を砕く、様々な愛の形。ごくごくと水を飲むように胸が満ちる。とても良かった。
監督:ギレルモ・デル・トロ
脚本:ギレルモ・デル・トロ、バネッサ・テイラー
音楽:アレクサンドル・デスプラ
撮影:ダン・ローストセン
原題:The Shape of Water
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こーれーはー邦題詐欺って言われても仕方ないんじゃないかな~
原題が「妖猫伝」、英題が「 Legend of the Demon Cat 」
そう、主役は猫です。
猫の一代記なのです。
ナビゲーターに空海と相棒で詩人の白楽天をお迎えして長安からお送りしております!
基本ナビのふたりのしゃべりで話が進行するんだけど前半ずーっとウロウロしてるずーっとウロウロしてる、お前ら口と足連動してるのかってくらいずーっと長安の街と建物内を行ったり来たりしてるんだけど、まあこのセットは存分に見せたいよな~と納得の街並み。素晴らしい。美術さんのすごくいい仕事。ずっと目に楽しい。広大で華やかで活気ある長安の都を堪能出来る。それから絢爛豪華な極楽の宴。花や羽をひらひらキラキラさせてくれるからチェン・カイコーを嫌いになれない…
そして猫…言ってみれば猫の恩返しの物語。たった一度でも優しくしてくれた哀れなひとをお助けしたい一心での復讐…黒猫の姿でわりとずっとぐ~ぐ~ぐ~ぐ~息をしてたりつらそうな声で鳴いたりと猫飼いの心をこれでもかと揺さぶる猫描写にすっかりやられた…こんなトンチキな映画で泣くと思わなかった…
やってくれるか、と問われた楊貴妃が子どもみたいにうん、てもう返事とも呼べない頷きを返すところとても印象的。彼女は分っていたんだな。
単純に日本語が聞き取れなくて人名や名称が覚えられないので字幕欲しいんだけど吹き替えだけなのは残念。染谷くんの中国語も聞いてみたかったけどな。
監督:チェン・カイコー
脚本:チェン・カイコー、ワン・フイリン
原題:妖猫伝 Legend of the Demon Cat
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ハッとするほど鮮やかな赤色と、穏やかなオレンジ色が心に残る。看板の赤、血、炎、電話、夜の部屋にうつる光。天使みたいに突然現れた野生の鹿の毛の色、ディクソンがレッドの事務所にかちこみかける時の光、ストロー付きのオレンジジュース、アイダホ行きの準備をする二人を照らす早朝の光。愛と怒りが濃淡を変えて画面にうつっているのかな、と感じた。怒りによく似た焦燥の赤と、やわらかいオレンジ色のジュース。ストローもある。「レッド」て名前はまるで共産主義のアカみたいだ、てディクソンが絡むのに赤毛だからだってレッドは返したけど、赤の名を持つ彼がディクソンにしてくれたことはとても象徴的な気がする。怒りと愛。
登場人物の誰ひとりとして善良ではなく、けれど誰も邪悪ではない。ミルドレッドは何度か行動しようと決意する、広告を出そう、クズどもに復讐してやる、アイダホに出かけよう。けれどその決意もたやすく揺らいでしまう、名指しで非難した警察署長の病の深刻さを目の当たりにして、クズだと思った男が捜査資料をかばって大やけどを負って、本当にいいのかまだ分からなくて。不当な暴力が突然ふりかかり、かと思えば意外なひとが助けてくれる、静かだけれど劇的な変化。たった三枚の看板によって街が一変したように、登場人物のあり様が変化するのが面白い。普段隠れていた一面が突然顔をのぞかせる。悪い言葉をたしなめるみたいに咄嗟に。
ディクソン役のサム・ロックウェルさん絶品だったな~椅子にハマるほどでかいケツとあの歩き方。全然ビシッと決められないのにキレた時の警棒の扱いが鮮やかで笑った。差別的なクズ警官なのに、ビリヤード上手い小男に「すげえな」ってふつうに感心しちゃってるあたりがな~環境や育ちが違えばこのひともしかしたら、な絶妙なバランス。
そしてピーター・ディンクレイジのピーター・ディンクレイジ力(ぢから)なんかもう…あんなのずるいと思う…
青空と夜の画はあっても夕方の画は無かったと思ったので(たしか)夕日が見たいなと思う話だった。オレンジ色の夕日。あのふたりがどっかで夕日を見て、そのまま帰ってきたらいいな、と個人的には思う。これはどっちかっつったら愛の話だと思ったので。
監督、脚本:マーティン・マクドナー
音楽:カーター・バーウェル
撮影:ベン・デイビス
原題:Three Billboards Outside Ebbing, Missouri
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This is the moment you've waited for!
歌と、ダンス。それに尽きる。ドレスの裾からげてがなり歌う女が出てくる映画なんか嫌いになれねえよな~観客の足踏みからはじまったショウは小物の使い方も楽しくて目が離せないそのグラスどこ行く、その縄どこ行く、そういってそうなる!ほほほう!
筋としては、成り上がりものがフリークスショウで成功してチョーシのって没落して再起、てゆーそれ何回目?な話だしぺらっぺらなんだけど、パフォーマンスで魅せてくれるので楽しい。
ただおれたちのレベッカ・ファーガソンさんにあんなつまんない役振りやがって~みたいなぺらぺらの弊害も感じる(なにさま)オペラ歌手リンド役のレベッカさん白ばらのようにおきれいだったけどあんなにお肌に色をのせていないときの方がもっとずっときれいなんだよな~プロのかっこいい役で見たかった。Never enough は吹き替えで実際に歌っているのは Loren Allred て女優さんだそうで、レベッカさんの歌声も聴いてみたかったな~
オペラじゃねーじゃねえか、な Never enough
暗闇にろうそくの明かりをともし、壁にうつる影に夢を見た少年が、スポットライトの下に立つうちにそのまばゆさに目がくらみ自分を見失う。暗闇に隠れていたフリークスたちは明かりのもとに立つ。ひとはひとの視線が気になる、痛いほど、て描写とバーナムがチャリティに、アンがフィリップに、愛してるひとに対して「あなたには分からない」て言うのがほんとのことすぎて悲しいんだけど、これが私だと歌い上げる姿はやっぱり胸を打つ。だしものに騙されてしまう話だった。
ところでまるで駆け落ちなバーのシーンで地味にめっちゃいい仕事してたひげのバーテンさんあれ誰?
監督:マイケル・グレイシー
脚本:ジェニー・ビックス、ビル・コンドン
音楽:ジョン・デブニー、ジョセフ・トラパニーズ
原題:The Greatest Showman
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まばたきすらしてはならぬ!
わーすごーいこれ全部ストップモーションなの~?みたいな感動はもはやわき起こらない、フツーにCGアニメーション映画を見た気分で本編後メイキングを見て
はー!?バッカじゃねーの!?(褒めてる)
バッカじゃねーの!?(ちょう褒めてる)
気が遠くなるメイキング
てなるとこが本題なんじゃねえのか。人形に命を吹き込む「月からきた魔法使い」たち。
画面構成や色彩がいちいちアクションRPGみたいで、このゲームやりたいな~てわくわくした。折れずの刀奪取戦なんかプレステのコントローラー欲しかった〇ボタン連打!
お話の構成に関しては、前半クボと母上の不思議な力の夢いっぱいな表現に時間割き過ぎて後半すごい慌ただしく伏線回収した気がして配分…てちょっと思った。母子の絆に対して「お父さん」はみそっかすにされがち。
ところで最終バトル後の月の帝の処遇が、あんなの殺されるより残酷だよなと思ってうひゃあってなった。「思い出」を失ったからの器に偽の記憶を刷り込む善なる者たち。優しいひとになることがそのひとの為になると思ってやってる。クワガタの記憶を奪った月の帝も確かに残酷だが、インセプションまではしなかったじゃん…こわい…ライカそーゆーとこある…
顔に傷のある「何かが欠けた」登場人物たち、忘れてしまったほんとうのこと、ほんとうの物語が語られ、語り継がれた英雄はひとびとの記憶に生き続ける。長い長い時間をかけて、やっと結末まで語られた話だった。
監督:トラビス・ナイト
脚本:マーク・ハイムズ、クリス・バトラー
音楽:ダリオ・マリアネッリ
原題:Kubo and the Two Strings
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圧倒的にやさしい…
だって冤罪で刑務所にブチこまれて、住所変わったからって身内に手紙書くとき「ムショにぶち込まれた」って書くと心配かけるだろうからって「ブラウンさんの所ほどじゃないけどここも悪くないです、由緒あるヴィクトリア時代からの建物で、なんといってもセキュリティが抜群」なんて素晴らしく婉曲な表現するのすごくない?パディントンめっちゃいいやつじゃん…
礼儀正しく惜しみなく親切なパディントンと、底抜けにいいひとなブラウンさん一家、善良なサブキャラクターたち、そして何より、このひと(熊)が育てたから今日のパディントンがあるのだなと間接的な表現でびしびし伝わってくるルーシーおばさん。みんな奇跡のようにやさしいので泣いてしまった…もう飛び出す絵本の船におばさんが乗ってるところからダメだったし、ブラウンさんがカリーさんにあんたは!て怒るところなんかおいおい声上げて泣いた(比喩)
前作に続き美術さんのすごくいい仕事。今回ブラウン家の内装はあまり出なかったけど、刑務所の中がしゃれおつカフェみたいにパステルピンクきゃわわ☆になっていくのとか目に楽しかった。
そしてヒュー・グラント!ヒュー・グラント of ヒュー・グラント!圧倒的ヒュー・グラント!ほぼあてがきみたいな話聞いたけどとてもいい仕事だった悪役だけど邪悪ではなく、小物でも大物でもなく、かっこいいけど全然キマらない、浮浪者から尼僧までどんと来いぶり。すごい説得力。
自分と周囲を思いやること、感謝の念、親切心、自尊心、友情、異分子を偏見でもって排除しようとする声に怒ること。ああいいもん見たな~~~て安心して椅子から立ち上がれる。とても良かった。
監督:ポール・キング
脚本:ポール・キング、サイモン・ファーナビー
音楽:ダリオ・マリアネッリ
美術:ゲイリー・ウィリアムソン
原題:Paddington 2
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そこで、イエスは言われた。
何故うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。私の手や足を見なさい。まさしく私だ。触ってよく見なさい。
亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、私にはそれがある
(ルカの福音書)
犬が死んだからダメです(定例報告)あと鶏もめっちゃ死ぬからダメです。
2017年、SNS上でコクソンを見たひとが「祈祷フェスすごかったwww」みたいな感想を上げているのを見て祈祷フェスってなんだよ!ていたいけなライトユーザーは戸惑いを覚えたものです…
実際見てみたら意味分かったよねなるほどすげえや祈祷フェス…!(噛みしめ)
村で起こっているいたましい殺人事件の数々は謎の日本人、國村隼による呪いの仕業なのか、それとも幻覚キノコによる精神錯乱が原因なのか、警察官だけどビビりめな父親は様子のおかしくなった娘を救うことができるのか…みたいなサスペンスムービー。
冒頭ルカの福音書の引用が出るので、キリスト教を元にしているのかなとまず思った。謎の女が「鶏が3回鳴くまで待て」とか言うから、こいつがキリストかな、まーたこいつらは弱い人間の信仰心を試してんだな腹悪ぃぜ、と次に思った。最後を見て、國村隼は反キリスト的な何かだったのかな、キリストの真似事をして、最後に正体をあらわにした、と思った。
んだけど監督のインタビューを読んだら「エルサレムに住むユダヤ教徒から見たキリスト」がモチーフになってるそうでした~手に聖痕がある~そうか~てへぺろ~
老若男女問わず泣く、叫ぶ、感情をこれでもかとあらわにする躁的な感じがアジア…!てなる。家にテレビやスマホやピアノがあるのに洗濯機はない、家族の様子がおかしいから祈祷師を呼ぶ&そんなばかばかしいって止めるひともいない、韓国のたぶん田舎の村で、不安や疑念をどんどん育ててヒステリーみたいになっていく主人公…令状なしの家宅捜索とかまず任意で署までご同行願うわけでもなくまんまと証拠隠滅されちゃうとかどうなってんだよ。子役の子は「エクソシスト」のリーガン以上の熱演を見せ、血まみれのよそ者國村隼が全然信用できない異質さを見せる。祈祷師は祈祷フェスを開く。
正体が分からない相手、原因が判然としない事象を前に男達が奔走するが、事態が改善するか誰にも分からないし手ごたえもないからただ息苦しく焦燥感が募る。ちょっと長いと感じたけど、とてもよかった。色んなところが似ているかなとちょっと思うのに全く違う隣の国がキリストを描くとこうなるなんて面白い。
監督、脚本:ナ・ホンジン
音楽:チャン・ヨンギュ、タル・パラン
原題:The Wailing
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見終わった後ふ、復讐~~~⤴⤴⤴てなって真っ赤な口紅を新調した。
20年も前に離婚した夫から自分へと献辞のついた本が届いて、途中まで読んで、「読んでる最中だけどとても素晴らしいわ、今度食事でも?」てメールするスーザンにまずとてもびっくりした。感想を伝えるにしても食事に誘うににしても、まず全部読んでからにすべきではない?そのひとが自分宛に作った作品を受け取って、じっくり全部目を通す前に、「まだ途中だけど」なんて連絡できる?何日かかったって読み終わってから連絡すべきじゃない?「耳をすませば」で雫がおじいさんに読み終わるまで何時間でも待ってますから!て不安そうに言ってたシーン忘れたの???
再会から結婚、結婚生活、離婚そして「裏切り」まで、スーザンはわりとずっとそんな感じ、考えが浅くて、簡単な選択に飛びついて、泥臭く努力することはない、そして「何でも持っているけれど、私ちっとも幸せじゃないの」なんて言ってるブルジョワのお嬢さんの姿で描かれる。そんなかつて愛したひとに自分の「妻」と「子ども」を殺した残酷な男たちの姿を与えるエドワード…
画面がずっときれいで、そのままポストカードにできそうなくらいだった。役者さんも良かったふっと空虚な顔をするのとは打って変わって感情が爆発するジェイク・ギレンホール、全っ然まばたきしない、失うものはなにもないっぷりが恐ろしくも頼もしいマイケル・シャノン、メイクと表情で若い頃と現在を演じ分けるエイミー・アダムス。最後デートの身支度→待ち合わせ中はわくわくそわそわしててほっぺつやつやなのに、ああ彼は来ないんだ、て気づいてどっと疲れて呆然としているスーザンの表情よ…今でない時、ここでない場所、目の前にいない相手に常に期待している空虚なお嬢さん…
「誰かを愛したなら努力しろ、簡単に投げ出すんじゃない、失えば二度と戻っては来ないのだ」とゆーエドワードの言葉がすべてだよな~なぜ自分は「不幸せ」なのか、なぜ空虚なのか、それは努力をしてこなかったからだと、スーザンはちゃんと気づくことができただろうか…
ところでケータイの電波なくても緊急通報用の番号は通じるはずだから、911に連絡して車と窓のカギ閉めてサツが来るまでけっして相手にするなガール!あきらめるな!てこぶし握りしめてたんだけどケータイからかける場合は112らしい…知らんかった…
監督、脚本:トム・フォード
音楽:アベル・コジェニオウスキ
衣装:アリアンヌ・フィリップス
原題:Nocturnal Animals
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犬が死んだからダメです(定例報告)
JBが死んだってだけでダメなのに、王女さまが即同じパグ犬用意してたのが更にダメだし、後半一切出てこなくて結婚式のシーンにちらっとも映ってなかった(と思う)からほんとダメです。分かるよ、あの犬はハリーとミスター・ピックルのシーンのための布石だったんでしょ…でもあの扱いはわたしの倫理コードに大変抵触したぜ…
マシュー・ヴォーンのひとでなしめ!(ここへきて)
前作のクソさとか不謹慎さとかはわたしは全然ピンと来なくってただ楽しかったんだけど、今作は全体的にああ~ましゅぼん監督これは怒られるわ~お前そーゆーとこだぞ!て言われるわ~て思った。
秒でアガるけど秒でサガるし、体感的にサガってる時間が長く感じた。キレッキレアクションシーンはちょう楽しいんだけど、カメラぎゅわぎゅわしてるシーンの役者さんの動きは迫力が感じられなくてどんくさー?て感じてしまったどうしちゃったんだ?予想よりペデロ・パスカルさんの出番が多くてそこは嬉しかった投げ縄!チョーシこいたガンスピン!どや顔!
物語の良心、盛り上がりのピークとともに退場したマーク・ストロングさんのマーリン先生はもう最&高でしたなにあれちょーーーかわいい。すらっとしたスーツ姿で出てきたとき冗談じゃなく口笛吹くところだった脚なっげえなあ!エイリアン:コヴェナントといいローガン・ラッキーといい「カントリー・ロード」流行ってるのか?ジュリアン・ムーアのポピーもちょうキュートだったけど、マーリン先生ほど派手な花道用意してもらえなくって歯がゆかった何でだよ~目から鼻から血噴出させてくれよ~死に様が地味だよ~
わたしの底辺に近い倫理観や人権意識に抵触するってよっぽどな気がしたゴールデン・サークル。期待していただけにちょっと残念。
監督:マシュー・ヴォーン
脚本:ジェーン・ゴールドマン、マシュー・ヴォーン
音楽:ヘンリー・ジャックマン、マシュー・マージソン
原題:Kingsman: The Golden Circle
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年の瀬にやべー映画見ちまったな!
なんだそれ!なんだそれ!てなるし、あれわたし途中で何か見逃したのかな?て思うほどシーンの切り替わりとか大味だし、えっ今のくだりいる?伏線かな?あっ全然違った…!とまあ次々襲い来るぽかーん案件の連続なんだけど、
エンディングを見るとまったく憎むことができない。
なんかもうにこにこして映画館を出るハメになってしまうし、めちゃめちゃハッピーな気持ちになる。でもひとには全然おすすめできない。よくこんなん公開したな!て気持ちもある。でも楽しい。やばい。よく分からないがやばい映画である(語彙力とは)
あのエンディングずるいよな…全部あれで終わらせられるじゃん…あれで終わればみんなハッピーじゃん…やりたいシーンを並べただけのとっ散らかった断片を力技でまとめられて、けど悔しくないんだから見事なもんだ。人徳かな?
監督、脚本:スタンリー・トン
原題:功夫瑜伽 Kung Fu Yoga